アマチュア読者の備忘録

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チャールズ・C・マン 『1493 世界を変えた大陸間の「交換」』

 

1493――世界を変えた大陸間の「交換」

1493――世界を変えた大陸間の「交換」

 

 コロンブスカリブ海の大きな島、エスパニョーラ島に上陸した1492年以後、ヨーロッパの船はアメリカ大陸を何度も行き来し、その過程で世界中の生態系がぶつかり合い、混じり合った。歴史家のアルフレッド・クロスビーが「コロンブス交換」と名付けたこの現象は、わたしたちがトマトやジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシなどを日常生活で食べるようになったきっかけでもある。砂糖もアメリカ大陸発見後、世界中に広まっていった。食べ物だけではなく、銀やゴムなどの天然資源、目に見えない微生物や病原菌、そして異文化で生活を営む人間も遥か遠くの地まで運ばれた。この交換によって、わたしたちが想像していたよりもはるかに劇的な変化が世界中で起こり、社会を変えてきた。

たとえば、乾燥した高地でも栽培できるサツマイモやトウモロコシが中国に流入したことによって、人々は飢えをしのぐことができ、人口は急増した。その反面、農民はそれまで定住したことのない場所に大挙して移住するようになり、その結果、栽培によって森林が破壊され、土壌が雨で簡単に流れてしまい洪水が頻発することにもつながった。

天然痘マラリア、黄熱病が新大陸に持ち込まれ、免疫を持たない何百万人もの先住民が命を失った。このあたりは、現在問題になっているコロナウイルスパンデミックにも関連するため、グローバル化の功罪について考えさせられた。

アメリカ大陸での大規模なプランテーションの労働力確保のために、アフリカからは大量の奴隷が船で運ばれた。最近の研究によると。1500年から1840年までの期間に捕えられ、アメリカ大陸へ送られたアフリカ人は1170万人にのぼるという。同じころに移住したヨーロッパ人は340万人と推定されている。おおまかにいえば、ヨーロッパ人とアフリカ人の比率は1:3だったことになる。奴隷貿易が続けられた数世紀のあいだに、新大陸ではアフリカ人、ヨーロッパ人、先住民の間で子孫が繁栄し、さまざまな文化や宗教が交りあい、ソフト面でのイノベーションが起こったのである。

700ページ超の大著だが、ほかにも知らなかったことが数多くトピックとしてとりあげられていて飽きることがなかった。

ちなみに冒頭でコロンブスと書いたが、彼の存命中に彼を”コロンブス”として知っていた者は誰もいなかった。ジェノヴァでは家族からクリストフォロ・コロンボと名付けられた。しかしポルトガルに渡り、ジェノヴァ商人の代理人として働くようになると、クリストヴァオ・コロンボと名を変えた。その後、ポルトガル王に大西洋横断航海の支援を断られ、1485年にスペインに移り住んでからはクリストバル・コロンと名乗るようになった。つまり、わたしたちが知っている有名なコロンブスは提督として活躍していた当時、クリストバル・コロンと呼ばれていたことになる。名前という「化身」は、「その名で呼ばれる人々や現実のある種のもろさを表している」と書いた中世史家のジャック・ル=ゴフが頭に浮かんだ。

コロンブス 全航海の報告 (岩波文庫)

コロンブス 全航海の報告 (岩波文庫)

  • 発売日: 2011/02/17
  • メディア: 文庫