小島毅 『天皇と儒教思想 伝統はいかに創られたのか?』
日本の天皇をめぐる諸制度の多くは明治維新前後に創られたものであると知ったら、驚く人は多いのではないだろうか。万世一系として伝えられてきた天皇制について、遥か昔から脈々と受け継がれて変わらず、日本国民に残された貴重な伝統であるという認識が一般的であろう。
皇后陛下の養蚕は、明治になって千年以上の空白を経て復活した行事であるし、天皇陛下のお田植えは昭和天皇から始まっている。お田植えについては、象徴天皇としてのあるべき姿をご考慮されたうえでの行事であろう。昭和天皇は植物学に造詣が深く、庭に自生する植物を「人間の一方的な考え方でこれを雑草として決めつけてしまうのはいけない」と近習を諭されていたという。
陵墓(皇族の墓)の造営や祭祀、暦、元号も中国の諸制度を参考にしながら、時代とともに変化してきた。その中国では思想の拠り所は儒教であった。皇族の宗教は神道だとされるが、中国の儒教が与えた影響は非常に大きい。
特に天皇を戴く国家としてスタートした明治では、それまでの武家政権からの脱却を目指して近代化が進んだが、天皇制も儒教の影響を受けながら近代化したのである。
本書を読むと、伝統という言葉について思いを巡らせざるを得ない。自分が昔から変わっていないと思い込んでいる制度や慣習について、立ち止まって考える必要があるのではないか。たとえば、著者が取り上げている政治学者のベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』で言及されているように、わたしたちが当たり前だと思っている国民国家(ネーションステート)という概念でさえ、自分たち固有の民族文化を特徴づけるための想像の共同体であり、創られた伝統なのだ。常識とされていることを改めて考えてみると、現状認識が鮮明になり、これからの未来をより良くするヒントが隠されているかもしれない。