アマチュア読者の備忘録

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春山行夫 『紅茶の文化史』

 

紅茶の文化史 (平凡社ライブラリー)

紅茶の文化史 (平凡社ライブラリー)

 

 最近、喫茶店でイングリッシュ・ブレックファスト・ティーをケーキとともに口にした。食べ物によく合う味だと感じたが、メーカーによって独自のブレンドがあり、紅茶好きには違いがよくわかるのだろう。紅茶は茶葉だけでなく、ティーカップによっても味わいが変わるというのだから奥が深い。ヨーロッパの貴族たちは、紅茶をおいしく味わうためにティーカップの材質を粘土にしたり銀にしたりするよう、お抱えの職人に要求してきた。彼らがパトロンとなって職人の工房や生活を支えていたのだから、本気度は並外れている。

本書は紅茶がヨーロッパをはじめとして、世界中にどのように拡がっていったのかを著者が文献を手がかりにして描いていく文化史である。紅茶を各国の歴史と関連させるだけでなく、陶磁器やその絵付についても言及があるため、紅茶に関連する道具についても学ぶことができる。

紅茶といえばイギリスのイメージが強いが、当初はオランダが茶葉の輸入を独占していた。中国の茶がヨーロッパに輸入された経緯が序盤に記されている。オランダ船が中国に進出し、中国のお茶を最初にマカオで買い付けたのは1610年で、これがヨーロッパに茶が運ばれた最初の公式記録とされている。それまでにも中国で茶が飲まれている風習は航海士やイエズス会の宣教師によって伝えられていたが、商取引としては成立していなかったようだ。このときは紅茶ではなく緑茶であった。ヨーロッパでは最初に緑茶が嗜好品として楽しまれていたのだ。初期には茶が健康に及ぼす影響について、医学者の間で大論争があったようだが、気づけば「茶は健康に良い」という意見が大勢を占めた。こういった流れは、新しく輸入された他の食料品にも当てはまりそうだ。ちなみにイギリスに紅茶が輸入されたのは、アモイで茶を買い付けるようになった17世紀後半である。

ヨーロッパに紅茶が伝わってから、市民の手が届くところまで価格が下がるようになると、イギリスの紅茶好きは本格化し、18世紀後半になると消費量はオランダを抜きヨーロッパで一番となった。

紅茶をヨーロッパで流行させた人物として、1706年にイギリスで最も古い茶の会社を創立したトーマス・トワイニング(1675-1741)や、コンビニに行けば必ず目にする「リプトン」の生みの親トーマス・リプトン(1851-1931)、中国の茶樹や製茶の技術をヨーロッパに伝えたロバート・フォーチュン(1812-1880)、国王御用の陶器師であり「クリーム焼」を開発したジョサイア・ウェッジウッド(1730-1795)の伝記も織り込まれており、紅茶への親近感がさらに湧く。

紅茶好きが引き起こした大事件にもふれている。アメリカのボストンで、茶への課税に反対したアメリカ人がロンドンから送られてきた茶342箱をボストン湾に投げ捨てた「ボストン茶会事件」はアメリカがイギリスから独立する原因の一つになった。

日本で紅茶が飲まれるようになったのは明治時代以降であり、ヨーロッパより200年以上遅れている。鎖国をしていた時代に、ヨーロッパでは新しい嗜好品である紅茶が人々の生活を変えていたのだ。本書を読むと紅茶にまつわる歴史や風習が頭に入り、紅茶の味わいも深くなるかもしれない。

なお、ロバート・フォーチュンの人生を追った作品として、「紅茶スパイ」が挙げられる。彼の中国での奮闘ぶりが伝わってくる良書である。

 

紅茶スパイ―英国人プラントハンター中国をゆく

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