街場の五輪論
2013年9月8日に東京オリンピック開催が決まった。
メディアは招致成功の要因として、大会運営能力の高さや財政力、治安の良さなどが評価されたと報じているが、実際には治安の良さが圧倒的なアドバンテージになったと著者らは言う。確かに安全でインフラも整備されていて、食事も美味しい国は世界中でも稀有である。
どうしてメディアがこの事実を大々的に報じないのかと言えば、招致派は概して改憲派であり憲法九条の恩恵を受けている事を口に出せないからである。招致成功を口実に、憲法改正を推進したいのである。
マドリードでは2004年に通勤ラッシュ時を狙った列車爆破テロ、イスタンブールでも反政府デモが燻っていた。これら2都市と比較して東京(というか日本)ではテロの心配がなく、セキュリティー性が図抜けている。治安の良さを担保している最大の功労者は文句なく憲法第九条と、それによって続く平和を享受しているという歴史的事実である。
小田島隆氏によると、サッカーのトヨタカップが日本で開催されているのはその治安の良さが決め手であったようだ。もともとはヨーロッパと南米でホームアンドアウェイ方式で行われるはずだったのが、テロのひどさに治安の良い日本に変更したのである。
確かにプレゼンテーションはグローバルに訴える仕上がりであったろう。ただ、対外的に公に口にしたことについて、私たちはもう一度立ち戻って考察しなければならない。本当にあの場でのプレゼン内容が日本を表しているのか、あまりに誇張された表現はなかったのか。発言の責任は重い。原発の放射線量、廃棄物処理、汚染水の除去、建築物の設計、早い段階で軌道修正ができなければ、結局は自らの首を絞めることになるのだと本書から学んだ。
本書ではメディアで取り上げていないオリンピックの功罪について、そうだったのかと膝を打ちまくる知見が満載である。私は両膝が痣だらけである。五輪招致成功によって誰が得をするのか、どのような運営が日本にとってふさわしいのか、オリンピックについて考えることは特に戦後日本を深く知ることに繋がる。
オリンピックは金儲けの道具ではない。メディアだけでなく、私たち個々人が日本にとって良いオリンピックとなるように考え、発言していかなければならない。ねじれなど解消しなくてよいのである。もちろん、発言した内容には責任を持たなければならない。