アマチュア読者の備忘録

本が好きです。兵庫県神戸市で開催されている「なごやか読書会」によく参加しています。https://kobe-nagoyaka.wixsite.com/book

今村楯夫 山口淳 『お洒落名人ヘミングウェイの流儀』

 

お洒落名人 ヘミングウェイの流儀 (新潮文庫)

お洒落名人 ヘミングウェイの流儀 (新潮文庫)

 

 アーネスト・ヘミングウェイの印象といえば、小説の文庫カバーに載っている髭面で毅然とした表情をしている顔であった。しかし、本書のカバーにはハンサムでスマートそうな青年の写真がある。ヘミングウェイってたくさんいるものなぁと思ったらそのヘミングウェイで、思わず二度見してしまったことを覚えている。

 

ヘミングウェイは服や道具にこだわりが強かったようだ。彼は幼いころからモノを捨てずにとっておく習慣があり、残された品々は膨大で寄贈後30年以上の時間が経過しているにもかかわらず、ボストンのJFKライブラリーでは整理が未だに終わっていないという。汽車の切符やメモの断片、蔵書、校正ゲラ、サファリで使用した折りたたみ椅子など、ヘミングウェイを研究する者としては垂涎ものであろう。後生に称えられる偉人にはすぐにモノを捨てるのを止めてほしいものだ。

 

本書はJFKライブラリーに保存されている1万点以上の写真や300点以上の領収書を調査し、彼のモノへのこだわりを明らかにするとともに、当時の人々の生活スタイルや流行した衣服についても触れている。ヘミングウェイと戦争は切り離せない関係であり、戦争の経験がなければ「武器よさらば」や「誰がために鐘は鳴る」を始めとする作品は生まれなかった。第一次世界大戦赤十字の傷病兵運搬車のドライバーとして従軍したヘミングウェイが衣服や道具に求めたのはシンプルさと実用性であり、華美や余計な装飾は嫌っていた。戦争は多くの犠牲と人命と引き換えにしか成立しない凄惨なものだが、そこから生まれた無駄のない機能美を備えたミリタリーファッションに人々が魅了されてしまうのは皮肉である。

 

ヘミングウェイは夜明けとともに起床し、午前中に5時間ほど執筆する生活を30代に身に付け、それは生涯続いたという。村上春樹も毎朝午前4時に起きてやはり5~6時間執筆をしていると読んだことがある。起き抜けの状態が知的活動に良いという考えは脳科学的にも確認されているようだが、まわりが寝静まっている静謐な時間に創作活動は捗るものなのだろうか。ヘミングウェイは目覚めと同時に作業できるようにベッドから2、3歩離れた棚の上にはタイプライターや紙ばさみ、鉛筆が準備されていたという。いかにストレスのない環境で仕事に取りかかれるかはビジネスマンにとっても永遠の課題であろう。

 

本書を読み終わって、ふと鷲田清一「ひとはなぜ服を着るのか」を読み返そうと思った。読んでいて何かしらの行動を喚起する本は知的生産性が高い。ファッションを通じてその人の性格や大事にしている流儀が垣間見えるのはおもしろく、人間が身に纏う衣服に対して意識、無意識で考えていることは奥が深いのである。

 

 

ひとはなぜ服を着るのか (ちくま文庫)

ひとはなぜ服を着るのか (ちくま文庫)

 

 

 

藤井直敬 『拡張する脳』

 

拡張する脳

拡張する脳

 

 普段とらえている現実は本当に現実なのだろうか?

目にする人や物は本当にそこに存在していると証明できるのか?

マトリックスインセプションのように、実は異なる世界にいるのかもしれない。

 

「自分って何なんだろう?」という問いから、著者は脳を細分化して考えるのではなく全体として眺める一見無謀とも思えるテーマに挑んでいる。研究テーマは社会脳、他者の存在によって行動を変える脳の働きである。

 

例えば上司には根も葉もないお世辞を並べ立て、部下には厳しく無茶な仕事を押し付ける会社員、普段はしたこともないような不自然な礼儀正しさ、ハキハキした口調で面接に臨む就活生や受験生を考えてみればわかる。彼ら(私も含めて)は接する相手に応じて態度を変える。生きていく上で、誰とでも全く同じ接し方をする人間は皆無であろう。

 

このような社会性を扱うのは心理学や社会学であったのだが、脳科学の見地から取り組んでいるのが著者の所属する理化学研究所の適応知性研究チームである。全方位型のパノラマカメラとHMDを使用したSR(Substitutional Reality)システムによって、視覚と聴覚を切り替えて代替現実をつくり出し、様々な状況で脳がどのようにふるまうのかを研究している。SRシステムは何度でも現実を再現できるので、現実の一回性に煩わされずに済む。システム運用に必要な装置がなかったため、既存品を組み合わせてつくってしまったそうである。高い知性の持ち主はブリコラージュが得意である。

 

SRシステムで現実と代替現実を繰り返し切り替えることで、被験者は高い確率でそれらの区別がつかなくなり混乱するという。著者の知見は絶対的な現実は存在せず、思い込み、メタ認知(知っていることを知っていること)が各々の現実をつくっているということだ。考えてみると、公平・客観・中立な報道というのは原理上不可能である。映像を扱うカメラマンや編集者が人間である以上、彼らの世界の見方は一律ではない。対象物を見る角度は人それぞれであり、同じ対象物を観察するにしても、ある人は真正面から見つめ、別の人は少し移動した位置から眺めるのが自然だろう。

 

科学では実験の再現性が求められる(はやりの捏造はダメデス)。一回性の問題を解消するために、著者の研究チームは上記のSRシステムだけでなく、脳の働きを詳しく調査するために「多次元生体情報記録手法」を開発した。サルの脳に針状の電極を刺したり、シート状の電極を取り付けて各条件における脳活動を記録するとともに、モーションキャプチャーを使ってそのときの身体運用も記録してしまおうという実験手法である。どうせなら脳活動と行動を全部記録してしまおうという考えから生まれたという。脳を細かく分けて機能を調べるのではなく、全体の活動を記録してしまってから気になった箇所を仔細に考察しようというのだ。

 

著者曰く、研究のやり方にはサーチライト型とバケツ型の2タイプがあるという。通常の研究スタイルはサーチライト型の研究で、仮説を立てて実験で検証するやり方である。これに対して著者が採用するバケツ型は何が取れるかわからないけれど、とにかくできる限り記録して、その後で可能な限り検証しようというスタンスであり、サーチライト型とは逆の考え方である。

 

著者の研究チームのすごいところは、記録したデータをウェブで一般公開してしまったところにある。アメリカのNIH(国立衛生研究所)のアンケート調査によると、論文発表後に実験データの公開を義務付けるというアイディアに対して、大半の研究者は反対しているという。その理由で最多だったのが、論文に間違いを見つけられるリスクを避けるためという回答だったのである。選んだテーマについて突き詰めようとする研究者ならば、過去の偉大な先達たちの成功の裏にある論理の綻びやミスから、「完璧な人間などいないのだから、とにかく自分が信じる仮説を公開しよう。」という教訓を大事にするのではないかと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。やはり自分こそ完璧だという功名心が彼らを秘密主義に駆り立てるのだろうか。

 

反対に著者は得られた実験データをパブリックドメインに開放することで、早く正解を見つけようという考えである。情報のあり方が中央集権型から離散・ネットワーク型に移行した現在では、このような考え方がこれから主流になりそうである。一人でコソコソ考えないで、みんなで世界の成り立ちを考えないかいというあり方はありだと思う。太っ腹な人物でない限り、このような行動は起こせない。社会脳の研究から得られた知見が、著者の考え方に少なからず影響を与えているのであろう。

 

著者はSRシステムを広く認知してもらうために、映画やテレビの再発明に繋がるようなユニークなコンテンツを開発しようと画策中のようだ。本書が出版されたのは2013年の9月だったが、今はどうなっているのだろう。

町山智浩 『アメリカのめっちゃスゴい女性たち』

 

アメリカのめっちゃスゴい女性たち

アメリカのめっちゃスゴい女性たち

 

 家庭を持つアメリカの女性の4割は夫よりも収入が多いようである。

アメリカでは女性の高学歴化が進み、現在アメリカの大学院修士課程の6割は女性、博士課程でも5割は女性である。また、日本とは異なり、大学院に進むのは一度社会人を経験した30歳以上の本当に勉強したい人々であり、彼らは身銭を切って学んでいるのである。日本の大学院生とは本気度が違う。

市民マラソンランナーの星、川内勇輝も「陸上競技はお金を払ってやるものだ。」と発言したことがあったが、好きこそものの上手なれである。

本書では、アメリカのカリフォルニア州で生活する著者が苦境に負けずに戦う55人の女性たちを取り上げている。現在のアメリカにおける理想の女性像は権力との闘いとともにある。選挙権を持たず、黒人奴隷制に反対しても男性からは見向きもされない、あるいはこっぴどい仕打ちを食ってきた経緯がある。そのような状況の中で草の根運動のように、勝たずとも負けずの精神で叫び続けたからこそ今がある。

本書で紹介されている女性たちは、極端に原理的にならず、たゆまぬ努力によって卓越した能力を開発して周囲に認めさせていく。出自に関係なく、能力があればマリッサ・メイヤーのように妊娠中の身であってもYahooのCEOに引き抜いてしまうのがアメリカ社会である。また、同性愛者であることや劣悪な環境で育った事をカミングアウトする。自分を受け入れ、後ろめたいことでもオープンマインドで語るのが理想のアメリカ女性像なのかもしれない。

本書だけでなく、著者の作品からはアメリカ社会の現実を垣間見ることができる。貧困者の肥満、中絶に対する過度の嫌悪、カード、銃、アルコール・ドラッグ中毒…彼の国のことで問題になっていることが、なぜ日本では蔓延していないのか、治安の良さに関して世界的に見ても稀有である日本は、どこからどのような恩恵を享受しているのかを考えさせられる。

 

教科書に載ってないUSA語録

教科書に載ってないUSA語録

 

 

 

 

柳宗悦『手仕事の日本』

 

手仕事の日本 (岩波文庫)

手仕事の日本 (岩波文庫)

 

 

部屋の周りを見渡すと、手作りの品物がほとんどない事に気付いた。これは産業革命以後の大量生産がもたらした遺産なのか、それとも堕落した私生活の結果なのか。観察すればするほど無味乾燥に見える。食器、デジタル機器、家具、ほとんどが深い思い入れもなく、すぐに代替可能な品物ばかりである。

 

かつての日本には家内で手仕事をすることで生計を立てる人々が数多くいた。彼らが生み出す品物は同じものがなく、長期間の使用に耐え、何よりも魂がこもっていたのではないか。それは損得勘定を抜きにした良いものをつくろうとする気質が伝統として生きていたからである。

 

本書は著者がおよそ20年に渡って全国の民蓺品を見て回り、地域ごとの手仕事の盛衰や特徴をまとめた民蓺品案内書である。各地の手仕事を深く知るには、その土地の地理的特徴や歴史的背景を理解しなければならない。本書を読みながら、日本各地の地理や伝統、生活について全然わかっていなかったのだと愕然とした。世間はグローバル化だ、英語だと喧しく騒ぎたてるが、世界中のルールが画一化される前に、母国の独自性について理解し、守るべきものを守り抜くことに注力しなければならないのではないか。適当に新聞を読み、テレビのニュースを見て朝鮮の批判を知ったような口で語るよりも、豊臣秀吉の時代に陶工を日本に連れてきたことが有田焼をはじめとする日本の焼物の発展に大きく寄与した事を知って、「まぁまぁ仲良くしようじゃないか。」と考える方が日本的ではないだろうか。(別に朝鮮に強い思い入れがある訳ではない。)

 

本書に限らず、著者は伝統とは古臭いものではなく、創造と発展を繰り返して成長させなければならないと言っている。伝統が途絶えれば、技術やノウハウの継承は頓挫し、それを元に戻すことは困難を極める。そのような現象は日本中で茶飯事であり、このような現状だからこそ、本書を読むことは日本のライフスタイルや生活の中で何気なく手に取る道具について、立ち止まって考える貴重な機会を与えてくれるのである。

 

 

民藝とは何か (講談社学術文庫)

民藝とは何か (講談社学術文庫)

 

 

 

 

 

街場の五輪論

街場の五輪論

 

 

2013年9月8日に東京オリンピック開催が決まった。

メディアは招致成功の要因として、大会運営能力の高さや財政力、治安の良さなどが評価されたと報じているが、実際には治安の良さが圧倒的なアドバンテージになったと著者らは言う。確かに安全でインフラも整備されていて、食事も美味しい国は世界中でも稀有である。

どうしてメディアがこの事実を大々的に報じないのかと言えば、招致派は概して改憲派であり憲法九条の恩恵を受けている事を口に出せないからである。招致成功を口実に、憲法改正を推進したいのである。

マドリードでは2004年に通勤ラッシュ時を狙った列車爆破テロ、イスタンブールでも反政府デモが燻っていた。これら2都市と比較して東京(というか日本)ではテロの心配がなく、セキュリティー性が図抜けている。治安の良さを担保している最大の功労者は文句なく憲法第九条と、それによって続く平和を享受しているという歴史的事実である。

田島隆氏によると、サッカーのトヨタカップが日本で開催されているのはその治安の良さが決め手であったようだ。もともとはヨーロッパと南米でホームアンドアウェイ方式で行われるはずだったのが、テロのひどさに治安の良い日本に変更したのである。

確かにプレゼンテーションはグローバルに訴える仕上がりであったろう。ただ、対外的に公に口にしたことについて、私たちはもう一度立ち戻って考察しなければならない。本当にあの場でのプレゼン内容が日本を表しているのか、あまりに誇張された表現はなかったのか。発言の責任は重い。原発放射線量、廃棄物処理、汚染水の除去、建築物の設計、早い段階で軌道修正ができなければ、結局は自らの首を絞めることになるのだと本書から学んだ。

本書ではメディアで取り上げていないオリンピックの功罪について、そうだったのかと膝を打ちまくる知見が満載である。私は両膝が痣だらけである。五輪招致成功によって誰が得をするのか、どのような運営が日本にとってふさわしいのか、オリンピックについて考えることは特に戦後日本を深く知ることに繋がる。

オリンピックは金儲けの道具ではない。メディアだけでなく、私たち個々人が日本にとって良いオリンピックとなるように考え、発言していかなければならない。ねじれなど解消しなくてよいのである。もちろん、発言した内容には責任を持たなければならない。

 

『瞬間の記憶力』

瞬間の記憶力 (PHP新書)

瞬間の記憶力 (PHP新書)

 

小倉百人一首は、飛鳥時代から鎌倉時代までの優れた和歌百首を集めた歌集である。藤原定家が十の勅撰集から選定し、現代ではコンピレーションアルバムと言えるかもしれない。四季折々の情景や恋愛模様など、雅な世界に浸ることができる。かるたに親しんだ方には馴染みのある道楽であろう。

 

が、競技かるたは違う。100枚の中から選んだ50枚を取り合う壮絶な戦いである。一瞬の速さが明暗を分け、手と手が接触して指の靭帯を損傷してしまったり、ひどいときには骨折してしまうという。試合を勝ち抜くためには百首の歌をすべて暗記し、上の句が読まれたらすぐに下の句を頭に浮かべ、その札の位置を瞬時に判断しなければならない。札を取りに行く動きも、無駄をそぎ落とした身体の使い方が必要になる。また、勝負事であるため、優勢でも劣勢でも心を平静に保つことが大切である。まさに心技体が競技かるたの真髄なのである。漫画「ちはやふる」がヒットし、競技かるた人口や認知度も上がっている。

 

著者は、中学3年生で2005年第49期クイーン位決定戦に 史上最年少で優勝し、2013年には9連覇を達成している。競技かるた素人の父親と二人三脚で練習に励み、型にはまらないスタイルで、対戦相手は研究するのが難しいようだ。クイーンという地位を維持するのは、精神的にタフでなければ不可能である。著者は相手に振り回されることなく、自分基準でものごとを考える習慣を試行錯誤の中で体得している。本書には、様々な状況下でも心の平静を保つ術が満載である。例えば、競技かるたでは札を払った際に、どちらが先に取ったのか判断がつかない場合があり、選手同士の話し合いで優劣が決まる。自らの言い分を主張しても話が揉めてしまった場合、著者はそこに執着しすぎず、「次は相手を黙らせるくらい速く取ってやる!」と潔く引き下がるという。勝ち続けるためには、目先のことにこだわり過ぎず、全体を通して勝てればよいという一種の余裕にも似た長期的視野が重要なのだろう。

 

著者は小学校3年生でかるたを始めたが、幼稚園から書道、公文式、ピアノ、英会話、水泳と習い事のオンパレードだったそうだ。習い事はすべてかるたにつながっていると著者は言うが、成長してそう思える人格が備わるかどうかは周りの環境に左右されるはずである。シーナ・アイエンガーの「選択の科学」がベストセラーになったが、人はあるがままの状態でいるとき、自分の選択の自由度が、自分にとって最適な水準にあると考える傾向があるようだ。子を持つ親の立場からすれば、どのように子供を育てるのかは悩みの種であろう。本書はそれについてのヒントも提示してくれるかもしれない。

 

 

選択の科学

選択の科学